バイオグラフィー
We are... You are... Electric Eel Shock:
Aki Morimoto - Guitar & Vo
Kazuto Maekawa - Bass
Tomoharu 'Gian' Ito - Drums
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"Mixing dark fuzzy stoner rock riffs with classic rock sensibilities and addictive song-writing hooks, EES occupy the gaping void somewhere between Queens Of The Stoneage, AC/DC and Black Sabbath." Kerrang
「伝統的なハードロックのエッセンスが凝縮されたギターリフとキャッチーなメロディー。正にQueen OF The StoneageからAC/DC、ブラックサバスの匂いが満載だ。」 ?ケラング(英国有名ロック雑誌)
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"You’d have to be the most miserable of metal purists or the ultimate elitist trend follower not to allow yourself to simply enjoy this band..." Classic Rock
「このバンドが単純に楽しむことができない音楽ファンとは無粋なメタルファンか流行しか追わない奴だけだろうね」 -クラシック・ロック(英国有名ロック雑誌)
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"The true triumph of Electric Eel Shock is that they put on a show that can be equally enjoyed by metal’s fanatics and its detractors. This is more than just a rock show ? it’s a complete entertainment package." Metro
「EESの本当にすごいところはメタルの熱狂的な部分とややもすれば中傷される部分を同時に楽しませてくれるところかもしれない。それはロックショーとしか言いようのない完璧なエンターテインメントだ」 ―メトロ(ロンドン地下鉄フリーペーパー)
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Electric Eel Shock are a glorious celebration of Classic Rock, Punk and Metal. A true power trio from the time before rock became fractured into a diverse multitude of sub-genres and we were all still one big happy Rock & Roll family.
EESはクラシックロック、パンクやメタルの伝道者だ。今のように支離滅裂に細分化されたロックではなく、すべてがロックンロールから生まれた一つの大きな家族みたいだった時代の。
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■1996年ごろまで
別のバンドを解散して、新しい音楽の道を模索していたギターのAKI(森本明人)とベースのKAZUTO(前川和人)は、ドラムのGIAN(伊藤知治)と出会う。
Electric Eel Shockというバンド名で再出発したものの、当初は最大11人と編成も大きく、セッションバンド的な性格だった。
音楽的にも方向性が定まらなかったが、徐々に向かう方向を見いだした。
と、ともにメンバーもシェイプアップされ、最終的にトリオに落ち着く。
■1998年ごろ
アルバム「MAYBE... I THINK WE CAN BEAT NIRVANA」、ライブアルバム「Live Punctured 」リリース。
鳴かず飛ばずのインディーズ生活を送る中、メンバーの中には徐々に海外志向が芽生えてきた。
観光を兼ねてのウェストコースト偵察行などを経て、ひょんなところからはじめての海外、ニューヨークライブツアーのチャンスが転がり込んでくる。
伝説のライブハウス、CGGBなどに出演。
その経験からメンバーに「オレたちアメリカでもいけるんじゃない?」という勘違いが生まれる。
■2000年ごろ
アルバム「Slayers Bay Blues 」リリース。
この時代は半年に一回の海外ツアー、合間はその資金を稼ぐためのバイト生活が続く。
しかし、徐々にアメリカを中心として海外へのコネクションが出来ていく。
■2001年
9月、二度目のCMJミュージックマラソン出演を含むニューヨーク?西海岸ツアーに出るも、到着翌日に発生した同時多発テロに行く手を阻まれる。当然、CMJは中止。
それにもめげず、戒厳令下のニューヨーク、そして西海岸でライブツアーを敢行。
■2002年

この時期までに、東京に本拠を置きつつも、初のニューヨークライブから7回にも及ぶアメリカツアーを重ねた。
春、SXSW(サウス・バイ・サウスウェスト音楽祭)出演を含むアメリカ西海岸?テキサスツアー。
(←左写真はその時のツアーメンバー)
同年秋、東京の住居を引き払い、本格的に海外での活動をはじめる。
日本でリリースされた5曲入りEP「GO AMERICA」をベースに新曲を追加した同タイトルの海外用アルバムを持ってアメリカに渡った。
半年の予定で、広大な北アメリカ大陸を二週する無謀なツアーを敢行。
しかしそのおかげで、エレクトラ、RCAなどメジャーレーベルのショーケース出演も経験する。
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■2003年
ビザ更新のためアメリカ出国の必要性に迫られ、たまたま飛び込んできた一通のメールだけを頼りにイギリスに渡る。
これがヨーロッパ圏における最初のツアーとなった。
イギリスでシングル「DO THE METAL」をリリース。6月にはヨーロッパ最大のロック・フェスティバルRoskild Festival(デンマークのコペンハーゲン近郊で行われ、最大収容人数約10万人)のサード・ステージでヘッドライナーをつとめる。
その後、カナダのバンドダンコ・ジョーンズとともに、ヨーロッパ12カ国を巡り、各地で絶賛を浴びる。
10月には香港のRockit Festivalにも出演するなど、日本に帰国することなくロック・ジプシーの生活を送る。
この年、巡った国は20カ国におよび、ステージ数は270を越えた。
■2004年
腰を据えてヨーロッパを拠点に活動することを決め、今まで発表してきた曲の中からベストをセレクト、レコーディングをしなおしたアルバム「Go Europe!」をリリース(ヨーロッパでは5月、イギリスでは7月Demolition Recordより)。
一方ライブ活動では、春にヨーロッパ初のヘッドライナーツアーを行い、12カ国を回る。
夏にはHultfred Festival(スウェーデン)をはじめ、ヨーロッパ各地20カ国以上ものフェスティバルに出演。イギーポップ、アッシュ、ミスフィッツなどと同じステージに立った。
同年末、彼らは最大の協力者と出会う。それは、ジューダス・プリーストなどを手がけたオランダ人プロデューサー、アティ・バウ。偶然ライブを聞いたアティは彼らのパフォーマンスに惚れ込み、みずから協力を申し出てきた。
12月、実に数年ぶりに日本に帰国、少年ナイフとの東名阪ツアーを行う。
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■2005年
アティ・バウとともに制作したアルバム「BEAT ME」が完成。
早春、およそ1年半ぶりの北米ツアーに出る。このツアーで3度目のSXSW出演をはたす。
その後、すっかり拠点となったロンドンに戻り、イギリス・アイルランドツアー。
イギリスのビッグフェスティバルDownload Festivalなどにも出演。
しかし、一度決まったBEAT MEのリリースはレコード会社の都合で延期。
結局、アルバムリリースは7月。待ちに待ったリリースパーティの当日、ロンドンで同時多発テロが発生、セプテンバーイレブンに続き、テロの現場に居合わせることになる。
9月、 メジャーバンドBloodhound Gangとともにアメリカ&ヨーロッパツアーに。
このツアーの成功により、欧米での人気が急上昇。アメリカではカレッジ・ラジオ・チャートのTOP10に食い込む。
■2006年
アルバムBEAT MEの日本盤、オーストラリア盤のリリースが決定。
2002年にアメリカに渡って以来、ひさしぶりに拠点を日本に戻すこととなる。
2月、THE SUBWAYSとともに、東京・名古屋・大阪でツアーを行う。
3月にはBEAT ME日本盤のリリースとともに、日本各地でTV、FM、雑誌等に多数出演。
香港、オーストラリアにもツアーを行い、引き続いて北米ツアーに出る。
アメリカでは最大級のフェスティバルのひとつBonarroo Festivalにも出演。
カナダ・トロントではNXNE(ノース・バイ・ノースイースト)ショーケースにて、大好評を博す。
9月、ふたたびアティ・バウと一緒にオランダでアルバム・レコ?ディング。
その後、日本とヨーロッパを往復し(大阪のFM802主催)ミナミ・ホイールズなど精力的にライブをこなす。
■2007年
2月より、北欧、オランダ、アイルランドなどをツアー。
ライブの合間に、アティ・バウのもとを訪ね、前年レコーディングしたアルバムを完成させる。
しかし、レーベルとのトラブルにより、またもリリースは暗礁に乗り上げる。
8月、ヨーロッパ最大のヘヴィメタル・フェスティバルWacken Open Air 2007に出演。サード・ステージのヘッドライナーとして3000人収容のテントを満員にした。その後、ヨーロッパ各地のフェスティバルに出演。日本でも 名古屋のRock'n Roll Boat Peopleなど、精力的にライブをこなす。
10月、ロンドンでプライベート・レーベルDouble Peace Recordsを立ち上げ、Cargo Distributionのもと、ニューアルバム「Transworld Ultra Rock」をリリース。
日本では11月にP-vine Recordよりリリースされた。
10月よりヨーロッパでニューアルバムのリリースツアー、帰国後ビート・クルセイダーズとの共演もはたす。
■2008年
2月、前年10月のリリースツアーで回りきれなかったフィンランド、ノルウェーをツアーした後、初の東欧、クロアチア、スロベニア、セルビアをツアー。これによってツアーした国数は27ヶ国にのぼった。
3月、前年の共演がきっかけとなり、ビート・クルセイダーズ監修のAC/DCトリビュートアルバム「Thunder Tracks」に参加。「AC/DC LIVE」の曲順通りにカヴァーされたこのアルバムで3曲目、名曲「Back In Black」をカヴァー。
それに引き続き、映画「デトロイト・メタル・シティー」公開を記念してリリースされた「デトロイト・メタル・シティ トリビュートアルバム ?生贄メタルMIX?」に参加、自身の曲をメタルヴァージョンにして生け贄として支えるという趣旨にもとずいて、「トランスワールド・ウルトラ・ロック」に収録の「アメリカ横断ウルトラロック」を「アメリカ横断ウルトラメタル」としてセルフカヴァー。
4月、90年代に3弦ギターと2弦ベースという独特のスタイルで人気を博したシアトル出身のロックバンド、The Presidents Of The United States Of America(PUSA)のヨーロッパツアーのサポートアクトとして抜擢される。メンバーも大ファンだったバンドだけに喜びも一塩、オランダ、イギリス、ドイツなどヨーロッパ各国の16会場をツアーした。
5月、韓国のメロディック・パンク・バンドGUMXの日本ツアーを全面サポート、東名阪を中心に10カ所ツアー。
同月、ドイツ人が起業しオランダに拠点を置く音楽サイト「SELL"A"BAND」 に参加。ユーザーが一口10ドルで好きなアーティストのアルバムに出資できるというシステムになっているこのサイトで1日目にしてすでに5,000ドルに 到達。2日目には10,000ドルを突破し、わずか54日で目標額の50,000ドルを達成。この時点で新曲が一曲もなかったメンバーは慌てて作曲活動に 入る。
6月、エストニアのフェスティバル「Rabarock」に出演。ダンコ・ジョーンズ、ハロウィンと共にメインステージを飾る。このライブの模様はエストニア「ETV」で放送される。28ヶ国目の訪問国。
※この模様は、VISUALS>Limited Videoのコーナーでご覧いただけます。視聴には当サイトへの登録が必要です。
7?8月、オランダを中心にヨーロッパ、フェスティバルツアー。フェスの合間にニューアルバムの新曲作りに励む。
8月、Sellabration(Sellabandの2周年記念パーティー)にて、アムステルダムの歴史的ライブハウス、パラディッソのメインス テージにヘッドライナーとして初出演。このクラブは初めてのヨーロッパツアーで出演して以来5回以上出演してるが、5年目にして初めてのメインステージ。
9月帰国後すぐ、沖縄の3ピース・ガールズバンド、「Bleach」と東名、京阪神を「電撃脱色ツアー」。この縁で沖縄でのレコーディングが実現。
10月、沖縄米軍基地内トリイビーチで開催されたRocktobar Fesに出演。
11月、FM802主催「ミナミホイール2008」に出演、最終日のトリを飾る。
そのまま看板DJマーキーの新番組「HYPER ACTIVE !?」出演。
翌週、沖縄スタジオGにてニューアルバムのレコーディング開始。オランダからアティ・バウがエンジニアリングを担当するために来日。
ベーシックトラックをレコーディング後、大阪に戻りダビング、ボーカルトラックレコーディング作業に没頭。あっという間に新年を迎える。
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